2019.02.22 Friday
映画鑑賞感想文
ウリや、
ただいま〜。
振り向いてもくれない.....。
というのはウソで、
今回は玄関まで飛んできて、
その場でコロコロスリスリ、
熱烈大歓迎してくれました。
1泊、2泊じゃだめなんですね。
4日も家を空けると、
ようよう、おばが恋しくなるらしい。
*
今回の旅は、
映画『鳥の道を越えて』(⇒☆)を
観るためでした。
(そのついでの、乗り鉄&帰省でした。)
映画のテーマは「カスミ網猟」です。
山の尾根の低くなったところに、
ごくごく細い糸で編んだ網を張り、
北の国からはるばる渡ってくる小鳥を
文字通り、一網打尽に捕らえる猟です。
その上映会が木曽福島で開かれたのです。
前から気になっていた映画でした。
**
じつは、私もカスミ網の経験があります。
保護に必要なデータを取るためです。
体長・体重をはかり、雌雄の別や年齢を記録し、
最後に足環をつけて放すのです。
環境省の事業でしたが、ツテをたどって
体験させてもらいました。
アトリ、シロハラ、アオジ、ツグミ、......
やわらかな羽毛に包まれた小さな体は、
びっくりするほど熱くて、
心臓は早鐘を打つようでした。
そして、かなしいほどに、軽い。
こんな小さな、頼りないものが
初冬の荒海を越えてきたのかと思うと、
愛おしくて、愛おしくて、
作業をしながら、泣けそうでした。
そうして、
私の手の中の小鳥の目は、
怯えきっていました。
だから、カスミ網猟は、
私の中では絶対悪でした。
***
その一方、私は民俗も大好きなのです。
大昔ではなく、現代と地続きの、
ちょっと昔、のお話が大好き。
日本列島各地の山人の話など、
夢中になって読みふけったものです。
その意味では、カスミ網猟も、
私の中では「アリ」なのでした。
だから、この映画、
どうせなら「現場」で観よう、
と思い立った次第です。
映画の主な舞台は岐阜県東濃ですが、
木曽もまた、
カスミ網猟が盛んな土地でしたから。
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現場で観る、という目論見は大正解でした。
会場には、
現に猟をしたことのある方たちがいました。
その手で網を張り、小鳥の首をひねり、
食べて、味を知っている人たちがいました。
上映後のトークでは、
猟の季節がどんなに待ち遠しかったか、
オトリや網にどんな工夫をしたか、
さらには、戦後法律で禁止されてからも
どうやって密猟に励んだか、
そういったことを、地元ならではの気安さで、
生き生きと発言していらっしゃいました。
これが東京などのアウェーでの上映だったら、
「悪びれもせず」そんなことは話せなかったはず。
私は会場のすみで、
ドキドキしながら聞いていました。
来てよかった、と思いました。
生きた民族譚が聞けたのです。
文句なしに、たのしい時間でした。
*****
その上で、言います。
やっぱりカスミ網猟は消えるべき猟です。
鳥たちの数が激減した最大の原因は、
カスミ網ではなく、農薬や乱開発かもしれない。
「適正な数」を獲るのであれば、
海のイワシ漁と何ら変わるところはないのかもしれません。
でも絶対に許せないと思った点があります。
カスミ網猟では、オトリを使うのです。
捕らえた鳥を何段にも重ねた籠に閉じ込め、
季節感を狂わせ、足を縛り、脅して、鳴かせる。
オトリの扱い方は、虐待そのものです。
それだけでも、許されない猟法だと思うのです。
あとは、感情論になってしまいますけれど、
網にかかった小鳥たちが、
点々と宙に浮いている光景が、
いとわしくて、おぞましくて......
それはまさに「奇妙な果実」です。
バンディングのときに見た、
怯えきったきれいな瞳を思い出すのです。
命がけで渡ってきた日本の山で、
見えない網に捕らえられ、
怯えきっていた、きれいな目。
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猟の工夫、調理・保存のための方法を、
「文化」であると言う人もいました。
でも、スペインの闘牛も、
イギリスのキツネ狩りも、
そして、日本の鷹匠も、捕鯨も、
「文化だから」という言説に
逃げ込んではならないと思います。
それは、必要か。
ニンゲンたちが生きるために、本当に必要か。
動物たちにそれほどの苦痛を与えてまで
行うべき必要があるのか。
正面から考えるべきだと思いました。
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今は、豚コレラのニュースを見るのがつらい。
で、ちょっとずつベジタリアンに移行中です。
まだ「なんちゃってベジタリアン」ですけれど、
私がこの肉を食べていいのかな、と
考えることが増えました。
生きるために食べるのはいい。
でも、苦しめる権利はないよね。
ああ、もう、記事の文字を追うだけで目の前がびしょびしょになって、
昨今ほんとうにだめです……。
おばさまの勇気に頭を垂れ、知識のお裾分けに感謝するのみです。
肉類を食さなくなって十余年になりますが、昨今は食べない、
というより食べられないという感覚です(魚介をいただくので
ベジタリアンではありませぬ)。
豚肉にしても鶏肉にしても、なにか事件があるたびに、
この食品の【大量生産】に無理があるのだと感じて、
半ベジにでも拘泥せねば、
平気な顔してニンゲンをやってられない気がする……。