会えてよかったよ。






虹の橋を渡る
という言い方があります。
こそばゆい表現です。
でも、
うん、
今はこの世にいないたいせつな者たちは
やっぱり空の向こうにいるって、思う。

梅雨の晴れ間の青い空と
イノチもりもりの緑を見ていると、
ニャンタ
どこか、はるかな空の高みで
かすかにのどを鳴らしながら
まどろんでいる気配を
すんなり感じられちゃうんである。

ニャンタが橋を渡って、5年。
今は
さみしいような
ぬくいような
ま、
総体として悪くはない気分。

**

ペットを家族に迎えると
そりゃいつかはつらい別れが来るわけで、
足摺りして泣き喚くしかない悲嘆や
心がバラバラになるような後悔も
経験しなくちゃいけないけど、
それでもこの
「さみしいようなぬくいような」気分を知ることは
ほんと、
悪くないです。

こういう気分、
知らないよりは
知ってるほうが幸せじゃないかしらん。

**

いつまでも
死んだ飼い猫のことを
ぐずぐずと記事にするのはどうかと思いますけれども、
「動物は死ぬからイヤ。」っていうだけの理由で
この幸せを放棄していらっしゃる方があるとしたら、
それはもったいないと思うんです。

あなたと暮らすことができれば
あなたの人生を確実にゆたかにしてくれる
毛玉たちがいますよ。
ここに、いますよ。
いかがですか?

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いつでも里親募集中





ありがと
ニャンタ
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コメント

「さみしい」から「さみしいぬくい」になるまでは
ちょっとキツイですけどね(^^;

初めて猫と暮らし始めた時は終わりが来ることなんて
考えもしなかったけどなぁ〜
そう思うと、なんだか歳とったなぁ〜自分(笑)

  • 2013/06/29 16:51


◆Aさん、コメントありがとうございます。
 ええ、ええ、キッツイです。
 乗り越えたあとでも、傷はしくしく痛みますね。
 それでもちびニャンタ、青春ニャンタ、おばあちゃんニャンタから
 「もらった幸せ」は、十二分に大きかったなあ、と思います。

 自分にはあと何年、猫もち生活が許されるだろうかと、
 指折り数えては、ウリグリコを見るお年ごろです。
 (長生きしてほしいけど私より長生きしてほしくない!)

  • ニャンタのおば
  • 2013/06/30 07:33

覚悟をしっかりとするために
シュミレーションを繰り返ししてみる。
何度も何度も。
今よりもっと婆さんになったら
のったりと動く黒猫だけが側に残るはずだ。
そしてそれを看取ったとき、
ワタシは猫砂掃除から解放されるんだ、とかなんとか。
無駄な抵抗なのですけれどもね。

  • 藏ゆ
  • 2013/06/30 08:04

1〜2週間ほど前ですが、デン子に会いました。夢でですけど。

 カーテン越しにデン子の声が聞こえ、『あれ〜?デンちゃん、
死んだんじゃなかったの?』とカーテンを開ける。
そこには白地だけど、デン子とは異なった模様のコが鳴いていましたが、
どうも知らないおじさんともう一匹の猫と散歩中だったらしく、
そちらの方へ走って行ってしまいました。
 という、なんとも現実的な夢でした。

多くの時間を伴にした家族だから、いろんな思いが存在するのは
仕方ないです。
梅雨の合間に虹などが見えて、こちらに渡って来る姿を垣間みたいものです。

  • nonoji-souris
  • 2013/06/30 13:09


◆コメントありがとうございました。
◇藏ゆさん
 気持ちは想定をはるかに超えて大揺れに揺れるでしょうが、
 日々、気持ちを準備しておくことは無駄ではありますまい。
 しかして果たして、ピータン君が「のったり」になりますかしら?

◇nonoji-sourisさん
 化けてでも出て来てくれ!と思いますもんね。
 どんなたいせつな人であっても、ニンゲン相手に、
 そこまで濃密で息苦しいほどの恋しさは感じないような気がします。
 デン子さん、夢の通い路通い来ませ。

  • ニャンタのおば
  • 2013/07/02 11:20