聞かれちゃった......

★【...のを見る。】の補遺




あーあ。

しつもん、されちゃった。

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きのうの記事について、こてちさんからご質問をいただきました。
コメント欄はせまっ苦しくて書きにくいので、
以下に、お返事を書いてみました。

*


=こてちさんのご質問=
猫が木から降りられなくなっているのを見た。
過去形に引っ張られて、
……降りられなくなってい【た】のを見た。
となってはいけないものですか?


=短いお答え=
「降りられなくなって{いる/いた}のを見た。」
どちらでもOKです。
意味の違いも、私には感じられません。


あっさり〜。
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※長いお答えは、「続きを読む」からどうぞ。(↓)

=長いお答え=
どうせなので、うつくしい情景を例にとりましょう。
脳内に、蓮の花がぽんと咲くところを想像してください。
この「咲く」という動詞の形とテンスは次のようになります。

・「咲く。」←これから咲く、つまりテンスは未来
・「咲いた。」←過去
・「咲いている。」←開花後の結果状態(テンスは現在)

次に、これを、従属節に入れてみましょう。
まず、大前提の知識として、
日本語のテンスの表示は、主節の述語(この場合「見る」)が担います。
英語のように、従属節にまで及ぶことはありません。
じゃあ従属節に置かれた「咲く」の形の変化は何を表すのかというと、
それは主節の動詞「見る」との前後関係なのです。

・「花が咲くのを見た。」←コトの順番は「見た⇒咲いた」
・「花が咲いたのを見た。」←コトの順番は同時。

しかし、このような違いが生まれるのは、「咲く」のような
変化を表わす動詞の場合です。
「ある/いる」のような状態を表す動詞や、
ましてや、状態や性質を表すのが専門の形容詞の場合は、
従属節内では形が変わろうが変わるまいが、影響は出ません。

・「彼女の顔が赤いのを見た。」
・「彼女の顔が赤かったのを見た。」

どうですか?
違いは感じられないでしょう?
「赤い」で十分なのですから、
「赤かった」はむしろ冗長に感じられるのではないでしょうか。

でも、「赤くなる」にすると、
これは変化を表す動詞文になりますから、違いが出ます。

・「彼女の顔が赤くなるのを見た。」
 ↑
 見ているうちに赤くなる現象が始まった。つまり「見る⇒赤くなる」

・「彼女の顔が赤くなったのを見た。」
 ↑
 同時。

でも「赤くなっている」とすると、どうでしょう。
これは変化の結果の継続、つまり「状態」ですから、
形容詞の場合と同じです。

・「彼女の顔が赤くなっているのを見た。」
・「彼女の顔が赤くなっていたのを見た。」

蓮の花でも同じことです。
・「咲いているのを見た。」
・「咲いていたのを見た。」

いずれの例でも、後者はむしろ「言わずもがな」な感じさえしますね。

というわけで、「木から降りられなくなっている」の場合も、
「いる」と「いた」に違いはなく、「いる」で十分です。
「いた」にしたければしてもいいけどね、という感じです。

*

でも、こてちさんのご心配なさるとおり、
自制の一致を持つ言語の話者は、一致させたがります。
だから、次のような誤用がよく出てきます。

!!「デートに行った前に歯を磨きました。」


「〜前に」に使う動詞も、担うのはテンスではありません。
主節の「磨く」との前後関係を表すだけです。
ですからここは、タの形にしてはいけない。
「磨いた」ときには「行く」行為は行われていないのですから、
ここは「行く前」としなければいけなかったのです。

逆に、次のような文に対して、彼らは不満を漏らします。

・「向こうに着いたら電話してね。」

未来のことなのに、なんで「着いた」なのか?!と。
「電話する」ときにはすでに「着く」は実現していなければならないから、
というのが、日本語の発想なのです。



わかりましたかにょ?

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わかった、と言ってくだせぇ!
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さ、お昼ごはん、食べよう。

コメント

猫が砂袋を破くのを見たら、即叱れるけれども
猫が砂袋を破いたのを見ても、犯ニャンが不明なので
叱れないのよー、きぃー!
あ、ウリさんの場合は分かっちゃうわけよね。
ざんねん、そこへ正座。

  • 藏ゆ
  • 2014/08/26 16:26

あらま、ウリさん、申し訳ありませんでした!
しつもんしちゃって!!

なんと記事をひとつ書き上げて下さって、恐縮至極です。
3回ほどしっかり読みまして、わかってきました。
なるほど、日本語はテンスは主節の術語が一手に引き受けてるんですね。
だからテンスが従属節にまで及ぶ英語は新しい概念で、
ちょっとめんどうだぞと感じるのだということがわかりました。
それにしても、テンスのとらえ方は千差万別なんですね!
日本語の前後関係だけってのはいっそすっきりしている気がします。
しかしそれは無意識にちゃんと使えているからですね、きっと。
「向こうに着いたら電話してね」って確かにちゃぶ台ものかも〜。

蔵ゆさんの例文にも納得。
でも、うちは破いたのを見ても確信をもって叱れます。
手遅れですけれどね。
はなびん、そこへ直りなさい。


◆コメントをありがとうございます。
◇藏ゆさん
 「破く」は(主体)変化動詞でもなく状態動詞でもないので、
 アスペクト的意味はまた変わってきてしまうのですが、
 それを言い出すとまた1本書かなくちゃいけないので、ここはスルー。
 
 で、ウリ猫はあまりに前科がないのですよ。
 たとえ状況証拠がまっ黒けでも疑いはかけにくいですなあ。
 はい、おじちゃん、そこに座りなさい。


◇こてちさん
 先の記事を読み返し、例文がすべて「ている」になっていたので、
 あ、これはまずい、と思っていたら、みごとに突っ込まれた次第。
 ですから自業自得でありました。
 ご質問ありがとうございました。

 英語の仮定法過去などを習ったとき、なんてめんどうな!と思ったけど、
 われらが日本語も似たようなことをしてたわけです。
 「【あした】向こうに【着いた】ら」とか、
 「【将来】子どもが二人に【なった】ときには」とか、ね。 
 英語の先生が日本語をもっと「知って」いてくれたら、
 あんな拒否反応を起こさずにすんだのにな、って思います。

  • ニャンタのおば
  • 2014/08/27 09:09