日本の動物愛護事情について

日本にほんの動物どうぶつ愛護あいご事情じじょう
について

3年前さんねんまえ、うちに来ばかりのころのウリ。耳みみの傷きずがまだ残のこっています。


で生活せいかつをはじめた外国人がいこくじんの方かたの中なかには、
日本のペットショップを見
て、びっくりする人ひともあるかもしれません。
とても小ちいさな子犬
こいぬや子猫こねこが、朝あさから晩ばんまで、
にぎやかな人通ひとどおりに面
めんしたガラスケースに入れられて、売られているからです。

かわいいうちに売
れなかった犬いぬや猫ねこは、そのあと、どうなるのでしょう。

そういう売り方
かたはおかしいのではないか、という声こえが、
ようやく日本国内
こくないでも上がりはじめました。
そしてこの夏なつ、環境省
かんきょうしょうが、そうしたペット販売はんばいのあり方かたについて、
国民こくみん
の意見いけんを聞くための「パブリック・コメント」を実施じっししました。
(その結果
けっかは ⇒こちら。)


また、日本では、今いま
も捨て猫ねこや捨て犬いぬ、飼育放棄しいくほうきが絶えません。
そうした犬
いぬや猫ねこたちは、飼い主ぬしが「要らない」と思おもった時点じてんで、
かんたんに、しかも無料むりょうで(!)、保健所
ほけんじょにひきとられます。(
その数かず、年間
ねんかん42万頭よんじゅうにまんとう。(
420,000です。
そして、わずか数すうパーセントをのぞき、そのほとんどは
ころされます
国民こくみんの税金
ぜいきんが、「要らなくなった」動どうぶつころのに使つかわれているのです。
※「殺処分さつしょぶんゼロ」をめざしてがんばっている、熊本市くまもとしのような自治体じちたいもあります。
※平成へいせい18年じゅうはちねん発行はっこうの環境省かんきょうしょうのパンフレットより。

かりにも先進国せんしんこくのつもりでいる日本にとって、
この数字
すうじは、きわめてはずかしいものです。

こうした問題もんだいについて、環境省
かんきょうしょうは、この秋あき
さらに「パブリック・コメント」を実施
じっししています。
(⇒こちら

漢字かんじがものすごく多
おおいし、文章ぶんしょうもむずかしくて、
日本語ネイティブの私
わたしが読んでも一度いちどでは理解りかいできないほどですが、
日本のペット事情じじょうに興味
きょうみのある方かたは、ぜひ、読んでみてください。

そして、お国くにの人
ひとたちに、情報じょうほうを広ひろめてくださったらうれしいです。
日本の政府
せいふは、海外かいがいからの声こえには、わりと敏感びんかんですから。

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つづきをよむ。(↓)

* * * * * * * *

私がペットショップというものに対してはっきりとした違和感を感じたのは、
「生体」という単語を知ったときでした。
トリマーの資格を取ったばかりの年若い知り合いが、雑談の中で、
「うちの店は生体販売はしてないんで。」と話したときです。(

セータイ?

初めは何のことかわかりませんでした。
漢字で「生体」です、と教えられたとき、
とっさに頭に浮かんだのは、「死体」という反対語でした。

ぎょ。

でももちろん、その知人の働く店は死体を売っているわけではなく、
この場合、「生体」の反対は、ペットフードとかおもちゃとかのことでした。
※このエピソードは、拙著辞書のすきま すきまの言葉』(研究社)でも取り上げたものです。

それまでも、ペットショップであれこれ品定めして「家族の一員」を購入する、という行為は、
なんだか奴隷市場で召使いを買うローマ貴族みたいだなあ、と思っていたのですが、
この会話以降、はっきりと、イヤダ感が芽生えました。

ペットショップのガラスケースの中に閉じ込められ、さらしものになっているのは、
生きている動物なのだ。心をもたない死体じゃないのだ。
さらに言えば、生きて売られている彼らの背後に、
できそこなったり、売れ残ったりした動物たちの死体が
透けて見えるような気さえします。

だから、この夏、環境省から「動物取扱業の適正化について(案)」に、
国民の意見が求められている、と知ったときは、うれしかったです。
さらに、そのときのパブリックコメントの結果を受けて、
早くも法改正のための一歩が進められたと知って、
ああ、民主主義の国に生まれてよかった、と、すなおに思いました。

今回実施されているパブリック・コメントの一つは、
その法改正の案について、重ねて私たちの意見を聞こうとしてくれるものです。(↓)

「動物の愛護及び管理に関する法律施行令の一部を改正する政令案等の概要」に対する意見の募集(パブリックコメント)



そして、もう一つは、動物愛護について、もっと広い、根源的な内容を含むものです。
「虐待」の定義とか、虐待を見つけたときどうすれば実効性のある対処ができるかとか、
保健所に収容された動物たちの殺処分を避けるための方策とか、
そもそも保健所がひきとるときの要件をもっと厳しくすべきじゃないかとか、
そうしたことをちゃんと決めて実行していくための法律作りにかかわるものです。(↓)

「動物愛護管理のあり方について(案)(「動物取扱業の適正化」を除く)」に対する意見の募集(パブリックコメント)



二つとも、締め切りは12月7日(水)です。


そして今回も、意見は出したいけどどうしていいかわかんない!という私のような人間のために、
ジュルのしっぽに、提出用の意見の見本が掲載されています。

環境省の文を一から読んで意見書を作成するのにくらべたら、はるかにやさしくて楽ですが、
この見本も、読みこなすのには、時間と気力を要します。
それでも、がんばって読んでみてください。

同意できるのであれば見本をコピーして使ってくれていいですよ、と書いてくださっていますが、
いったい何が問題なのかを知るためにも、さくっぺたっとコピー&ペーストする前に、
ここはド根性で、ひととおり、読んでください。

それに、いくらすばらしい意見書でも、そのぜんぶに賛成できるとはかぎりませんもの。
重箱の隅をつつくようなことですが、日本語教師としては、
「みだりに」という副詞のいささかみだりな使用とか、
「不必要な暴力」という表現に、ひっかかりました(「必要な暴力」なんてあるのか?と)。

なーんて言って、私もまだぜんぶをきちんと読んだわけではありません。
でもこれから何かとあわただしい季節、へたをするとあっという間に12月です。
だから少しでも早く読み始めていただくために、お知らせだけはしておきたいと思いました。

あなたが読めば、もっと本質的な問題に気づく端緒となるかもしれません。


今の日本はワンコ・ニャンコどころじゃないんだ、
たいへんなんだよ!という考え方もあるかもしれません。
けれども東北大震災の被災地でおこった悲惨なこと、
――ペットを連れて避難することができなかった人たちが負った深い傷や、
家畜を見殺しにせざるをえなかった農家の方たちの無念やを思うとき、
コトは優先順位の問題ではないと思うのです。
できることが目の前にあるのであれば、それをきちんとやる。
ごく単純に、そのほうがいい、と思うのです。

政府が私たちの意見を、直接、聞いてくれるなんて、これは、チャンスです。
チャンスは、がっちりつかみましょう!

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★・★・2回つづけて、すっかり猫ブログのようになってしまいましたが、
猫は当ブログの重要なスタッフ。なにとぞご理解くださいませ。
木曜日は、お約束どおり、仮定表現のお勉強にもどります!・★・★
コメント

はじめまして。ジュルのしっぽのhana*です。
ご紹介いただいて、ありがとうございます。
日本の動物の扱い方は、海外から学ばなければならないことがたくさんあります。
ぜひ、海外からのご意見を寄せていただきたいです。

あらためてご指摘の言葉に注意をして「ジュルのしっぽ」に掲載されたhana*さんの文章を通読してみました。「不必要な暴力」の【不必要な】は、【本来不必要である(べき)はずの】と解釈しておりました。そうとも受け取れませんかしら? ここは単に「暴力」とすべきでしょうか?
そしてあらためて読み返してみて、わたくし自身が最初から気にかかっていた、そもそもの殺処分を前提としない意見はどの程度現実からかけ離れているのだろうかと、自問しました。再考するきっかけを作ってくださってありがとうございます。
いずれにせよ、詳細にわたる提案書があってこそ、細かい部部を自分が納得できるように書き換えて提出できるということのありがたさを再度痛感しました。もう少しじっくりと考えてみます!

◇hana*さん
 はじめまして。
 このような駆け出しブログに、ようこそおいでくださいました!
 ありがとうございます!!
 自在に使える外国語をもちませんので、このブログは日本語だけで発信しております。
 その上、ここまで猫まみれですと、ますます読者は限定されるでしょうし、
 いったいどのぐらいの日本語学習者が読んでくれているか心もとないものがあります。
 でも、声に出していれば、いつかだれかが答えてくれると信じて、しゃべくります。
 ★海外のみなさーん(日本人も学習者も)、ご意見、お寄せくださいませ!


◇こてちさん
 はい、その解釈も、ありえます。
 文法用語で言うと、制限用法/非制限用法の問題です。
  ・ペットショップでかわいい猫を選んで買う。
   【制限用法:「猫」の範囲を「かわいい」が限定している。】
  ・うちのかわいい猫どものためならエンヤコラ。
   【非制限用法:「うちの猫はかわいい。その猫のためなら・・・」】
 こてちさんの解釈は、この非制限用法です。
 英語で言えば、カンマつきの関係詞ってところでしょうか。
 
 でも、二つの解釈可能性があるのは、やっぱりよくないと思うので、
 私は提出にあたり、この「不必要な」は削ろうと思います。
 もともと暴力は不必要なものなのであるから、不必要という形容語は不必要だと思います。
 「状況によってはある程度の暴力はやむをえないな」という都合のいい解釈を許さないためにも。

 ともあれ、おっしゃるとおり、hana*さんが、ここまでの準備をしてくださらなかったなら、
 私などは、環境省のサイトを開いた段階で、あっさり断念していただろうと思います。
 なんで法律の文章ってあんなに難解なの!
 それをかんで砕いてわかるようにしてくださった『ジュルのしっぽ』。
 深い感謝と敬意をささげつつ、それでも、というか、それだからこそ、
 きちんと自分の脳みそを使って、読み、考えたいと思います。
 ほとんどがコピー&ペーストになるとしても、
 「これは自分の言葉だ」と思えるようにしてから、提出したいと思います。

  • ニャンタのおば
  • 2011/11/15 08:25

ミツバチの場合はまだ動物愛護の対象ですらないので,ある意味うらやましい議論です.ミツバチの場合も,飼ってみたい→飼ってみた→手に負えない→放置,で,その後はミツバチの望まない選択肢に至るケースも多々ありますから,やっぱり人ごとではないですね.一緒にいるので充分楽しいという意味ではネコに近い生き物かも知れません.ミツバチの場合は「飼って」あげなくても,自分で勝手に生きていけるんで.その点で,商売柄,飼う覚悟を突きつける役回りをしています.

「不必要な暴力」,なるほど.流行り言葉のようによく使われる「フェアトレード」も,途上国では「ふざけんな」という意見も.「トレードは本来フェアなもの,自分たちがアンフェアにしたものをいまさらフェアとかっておこがましい」こちらもなるほどです.暴力も肯定された歴史があるから,あるいは現在も肯定される場面があるからこそ,あえて「不必要」といいがち.でもその表現をすることで,ニャンタのおばさまのいう通り,どこかで暴力の存在を無意識に肯定してしまう(あるいはこちらの意図とは別にそう解釈される).その意味でも,やはり,弱者に対する暴力は,必要,不必要の区別なく,無条件にあってはならないものという毅然とした態度があるべきでしょう.

一方で,この種の問題では「多くの殺されてしまう動物たち」自体は人心に訴える部分が大きく,何らかの形でその運命に至るのを抑え込む方向に動きやすい.でも,そもそも殺される運命を作っている状況の方をどう変えられるかが大きな課題となってしまいます.途上国では,医療援助によって,子どもの死亡率が大きく低下しました.ところが,農地の面積が広がるわけではなく,農業生産性も大幅な向上は望めません.7人産んで3人育った時代と,諸般の状況は何ら変わってないのに,その倍の6人までが成人を迎える.当然,都市部への人口流出を招いています.助けた子どもたちが幸福になれるかどうか,本当はそこまで考えてから支援に踏み切るべきではなかったかと,現地ではいつも思っていました.

パブコメにコメント送る方々にはそうした包括的な見識があっても,それに付いてくる世の中の動きは,どうしても表面的で,訴求の大きいところへ,感情に流されながら向かいがちです.そのためにも,こうしたブログなどを通じて,多様で多角的な情報提供がなされるとよいと思います.ネコ好きな方が見ているブログだからこそ,もう少し,この議論,ここで盛り上がって欲しいと期待したいですねえ...

  • junbee
  • 2011/11/16 10:58

◇junbeeさん
 ああ、やっぱり……。
 捨てミツバチ、あるんですね。
 銀座のミツバチが話題になったときから、かすかな不安は感じておりました。
 虫でもケモノでも、一度ヒトが手をかけた(そして生態をゆがめた)生き物を
 捨てる=野に放つ、のは、ほんとうに、やめてほしいです。
 遠野のお宿で、野生のニホンミツバチの蜜をご馳走になったことがあります。
 本気で、甘かったです♪
 私も飼ってみたいという野望が芽生えた瞬間でしたが、ガマンガマン。

 フェアトレードのこと、そんなふうに考えたことなかった!
 ぐわぁん!
 新鮮な衝撃をありがとうございます。
 ほんとだほんとだ。ふざけんな!ですね。
 ほかにもありそうだなあ、(善意で)付けられた不必要な非制限用法の形容語。
 心せねば。

 今の人口が地球にとって重すぎることは誰でも気がついていて、
 だから計画出産の必要が説かれたりするんだけれども、
 いっぽうでは医療の進歩は絶対的に善とされていて、
 命を助ける手段がつぎつぎに編み出されていく。
 それを、私や私の家族には使わなくていいです、と断るのは勇気が要ります。
 途上国へのワクチンや食糧の補助も、やらないほうがいんじゃね?
 なんてことは口が裂けても言えません。
 だけれど、そうしたことがますます人口を増やしていることは事実。
 それも、「幸せになれる確率の低い人口」を増やしている。
 
 こういう論議は、ものすごく冷徹な響きをもってしまうから、
 できれば避けて通りたいところですけれども、
 でも、もうとっくに本気で考えなければならないレベルに来ていると思います。

  ミツバチみたいなちっちゃいものは、
  死んだって殺されたって別に大して心は痛まないけど、
  猫はいやだ。猫はかわいそうだよ。
  いや、猫ぐらいはしかたないさ。それよりアフリカの子どもたちを助けようよ。
  いや、まあ、アフリカはおいといて、今、目の前で闘病中の大事な家族が問題だ。
  助かる手立てがあるんなら、先生、何でもやってください!

 すべては、一線上にならんでいることのような気がします。

  • ニャンタのおば
  • 2011/11/17 08:19