あってはならない

★日本語【あるまじき】#解説
 

 
生活指導のセンセイに叱られそうな、
女子にあるまじきこのヘソ天ポーズ。
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男子ならいいのか、という指摘は、
とりあえず脇に置いといて.....、
きょうは、
「あるまじき」という表現についてのお話です。

ついでに、謝罪記者会見などで耳にする、
「まことにあってはならないことで、遺憾です。」という謝罪が
ちっとも謝罪に聞こえない理由も、考えてみましょう。

ねこ

ずいっと下のほうに、
ウリ猫のおまけ写真あります。


あるまじきの解説】
 「あってはならない」という意味の、文語表現です。
 「〜まじき」は、否定の推量の助動詞「〜まじ」の連体形です。
  もー、そーゆー文法用語は頭痛くなるからやめて!という方も、
  この表現は、案外、ちょっとした会話の中で使っているものです。

   ・すまじきものは宮仕え。
    ≒勤め人はツライよ。するもんじゃないね。

   ・世に盗っ人の種は尽きまじ
    ≒ドロボーがいなくなるなんてことは、ま、ないだろうね。

 あるいは、デモのプラカードでも、見かけそうです。

   ・許すまじ、AB政権!
    ≒民主主義の破壊は、許さないぞ



 ここで、「あれ?」と思われた方は、スルドイ!
 冒頭で、「〜まじ」は「否定の推量の助動詞」と書きましたが、
 挙げた3例のうち、《否定の推量》に当たるのは、
 現代語で「ない+だろう」と訳せる、「尽きまじ」だけです。

 宮仕えの例は、「するべきじゃない」という《不適当》を表すし、
 デモ隊の例は、「しないぞ!」という《否定の意志》を表しています。

 どういうことでしょうね?

 *

 ずいぶん意味が違うように感じられますが、じつは根っこは1つ、
 「〜まじ」の根本は、「まだ起きていないことの否定」です。
 意味が分かれるのは、隠れている主語の違いによるのです。

 ちょっとほかの助動詞を使って説明してみましょう。
 現代語でふつうに使われる「〜う/〜よう」や「〜ましょう」も、
 「〜まじ」同様に、隠れている主語の違いで意味が分かれます。

   ・いい天気だなあ。きょうは外でご飯食べようっと。
    …食べるのは私。⇒《意志》

   ・ねえねえ、外へ食べに行こうよ。きっと気持ちいいよ。
    …食べに行くのは私とあなた。⇒《誘いかけ》

   ・このお天気は今しばらく続きましょう
    …続くのは、お天気。⇒《推量》

 どれも「これから起きること」ですが、
 1人称だと《意志》になり、
 2人称を巻き込むと《誘いかけ》になり、
 「天気」という3人称だと《推量》になっています。

 *

 「〜まじ」も同じです。
 「許すまじ!」の主語は、「私」という1人称、
 「(宮仕えを)すまじき」の主語は、一般論としての2人称、
 「尽きまじ」の主語は、「盗っ人の種」で、3人称。
 
 そして、それぞれに応じて、「〜まじ」の意味も、
 《否定の意志》、《不適当》、《否定の推量》になる、と。
 おもしろいですね。(ね?)

 *

 ところで、政府や企業や団体で不祥事があったとき、
 責任者と思しき人が、苦渋の表情で記者会見に臨み、
 たいがい、こういうことをおっしゃいますな。

 まことに、あってはならないことで、遺憾に思います。

 この「あってはならない」は、ちょっと古めかしく言えば、
 きょうの例文「あるまじき」であります。

 さて、では、この場合の「ある」の主語は?
 そう、3人称です。
 「収賄/不正会計/安全審査の手抜き/...」が、主語です。
 
 つまり、これを正確に解釈するに、彼らは、
 「あるはずのないことが起きてしまった。」と言いたいらしい。
 「ボクの知らない間に起きちゃったの。」

 ううむ。
 素朴な日本語教師としては、思うのでありますよ。
 本気で謝る気があるのなら、つぎのように言うべきではないかと。

 まことに、してはならないことをしてしまいました。

 
そう、1人称で語るべきであろうと思うのです。
 「私」という1人称で、主語を引き受けた文で、語るべきです。
 
 *

 痛ましいバスの事故でたいせつなゼミ生を失った先生や、
 被害届を出したのに捜査を棚上げされた被害者や、
 杭打ちの不確かなマンションを知らずに買わされた住民や、
 原発事故でふるさとを捨てさせられた人たちならば、
 あってはならないとか、あるまじきと言う資格があります。
 でも、「した本人」が使っていい表現ではない、と思います。

 よく、日本語は主語があいまいだ、などと言われますが、
 決してそんなことはありません。
 日本語は、明示しなくても主語がわかるしくみを備えた言語です。
 しかし。
 主語を明示しなくてもわかる、ということと、
 主語をごまかしてもいい、ということは、ぜんっぜん違います!

 しょせん、記者会見で頭を下げているあの人たちは、
 「したこと」の責任を引き受けるつもりがないんだろうな。

 

ねこ


何をしても笑って許されるのは、
猫だけですからね!

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へそ天灰色しましまの向こうには、
これまたぐっすりお休み中のグリコ

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すまじきことは、何一つあるまじ。
猫には。

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コメント

あまり真剣に考えたことがなかったけれど・・・
『誠に遺憾に思います』はどの人らも,そう言えば,らしく聞こえるような
謝罪会見でよく聞くから自分も・・・的に聞き流していましたが
意志も誘いかけも推量も,なるほど解説をしていただいて
初めて「おぉ!!ホントだ!」と思いました ^^
凄い!!
した本人が言うと,確かにヘンですね ;
大臣も会社の偉いヒトも,日本語をもっと勉強すべきですよね (>_<)
(あれ??『〜すべき』は先日習いました ^^)

ウリちゃんのあんよ・・・
椅子の背もたれに乗っかってますね(≧▽≦)
触りたいです!!

  • ж∫цж
  • 2016/02/09 19:14

椅子を使いこなす猫、ウリたん〜♪ 足もたれ〜♪

  • おっチョコ
  • 2016/02/09 20:02

ウリグリたん、徐々に徐々に距離が縮こまってきましたね。^^
薪ストーブ周りの長閑な眺め。
いいですね〜ゆるゆる感。^^


◆コメントをありがとうございました。
◇ж∫цжさん
 こういう「あんよ」を見ると、チョッカイ出したくなりますよね。
 椅子から外してやると、寝たまま空振りしたりするんですよね♪
 日本語部分もきっちりお読みいただけて、うれしいです!

◇おっチョコさん
 使いこなしておりますか?
 ええと、椅子の用途として、ええと、はい、合格!っと。

◇lambidumidiさん
 ふふ。今はさぞかし1日を長く感じておられることでしょう。
 でも、ふぅさんは「あたたかくて安全なとこ」にいるのですもの、
 氷雨が降っても北風が吹いても、心はざわつかずにすみましょう?
 ちったんと流血のバトルになる気配がないだけでも、スバラシイ。
 ささ、また刺繍などお手に取って、優雅な紅茶のカップを脇に。
 それとも、すてきなおふたりのお昼寝の仲間入りはいかが?
 息なが〜く、腰を据えてまいりましょう!
 高みの見物的な物言いでごめんなさいね。
 私も「当時」はそりゃもう一日が長くて、ぐったりしたものでした。
 ※コメントを入れようとしたらなぜか入らなかったので、
  こちらに書きました。

  • ニャンタのおば
  • 2016/02/10 09:32

三人称で責任の所在をあいまいにごまかしてしまえという意志が隠れている謝罪の本質を見抜けないのは、日本語がせっかく主語を明示しなくても主語がわかるしくみを備えた言語であるにもかかわらず、そこをしっかり理解していないゆえに聞いているほうは丸め込まれて、実は「ばかにしてんのか!」と言い返すべきような謝罪を唯々諾々と受け入れているのか。なんてこった!
という理解はできた(つもりな)のですが、まだ血肉となるほど腑に落ちず、これを第三者に説明することはとうていできないと感じるところまで到達したのは、ようやく何度か読み返した2日目のことです。わかったような気になる愚行は犯すまじ。むぅー。
頭が揉まれたことだけは間違いありません。ありがたや。

猫であらせられるウリさんとは違って、すまじきこと多きオトナですけど、ちょっとへそ天して頭を休めようっと。

8888888888888888888!(←拍手です)
ほんに言外に、自分のせいじゃないけどスマンこったな
的な発言ばかりで、腹立たしい限りです。
特に政治家!
あ…すみません、人様のブログで…。
むしゃくしゃしたので、ワタシもストーブ前で
へそ天しようっと♪

  • 藏ゆ
  • 2016/02/10 10:35

うりたん、椅子からおしりが落ちそうに見えますが、大丈夫なのかしらん?
グリコ姐さんも、ハウスの屋上でぐっすりお休みで・・・。
ふわ・・・私もサビィとへそ天しちゃおっかな♪

「した本人」が使ってはならない言葉で思い出したのは、
娘たちが小さかった頃の困った事が起きたときの話し方。
「お味噌汁のお茶碗が、ひっくりかえっちゃった。」
「お人形の手が、取れちゃった。」
一人称で語るべき処を三人称にしてました。

これって、人間が生まれながらにして持っている自己防衛の本能なんでしょうか。
親の言葉使いから学習するのでしょうか。(反省)
状況によっては、かえって怒りに油を注ぐようなことにもなりねないですね。
実際、政治家や会社の偉い人たちの謝罪会見には、ムラムラとする事が多いです。

ニャンコたちのように、平然としているのもひとつの手ですけど。(問題を起こしたと認識してないからか…。人語を話せないからか?)

ため息をつきつつ怒るのを諦めて、事後処理をするのは、愛があるからですよね。




  • すーさん
  • 2016/02/10 11:06

油を注いでいけないのは、火でした。

怒りに油を注ぐと… 
きっと、もっと怒られるとは思う。

  • すーさん
  • 2016/02/10 11:23

政治家がよく使う『遺憾です』が企業などの謝罪会見で使われるのは誠にいかん、と思います。 
日本語の使い方が間違ってるんですね。 
違和感を感じるのはこれが原因だったのか。 ムムム

  • おっチョコ
  • 2016/02/10 16:51

そっか、テレビを見ていて
なんだこの他人事のような言い方はと
黒いモヤモヤが澱のように溜まるこの感じ。
解説してくれてありがとうございます。
頭の中を揉みこんでいただきました。
私のがちがち頭もちょっとは柔らかくなったかな?

ぱっかんおーぷんはーとなウリさん。
イスの上で夢見心地で踊っている姿は
向かうところ敵なし、天晴れ♪


◆さらなるコメントをありがとうございました。
◇こてちさん
 あわわ。
 こてちさんのようなことばのプロが、2日を要したということは、
 ううむ、あまりよい説明ではなかった、ということですね。
 にもかかわらず丁寧にお読みくださって、ありがとうございます。
 「行為」を「事象」として語ることが間違いなわけではないのですが、
 謝罪の場面ではそれはズルイと、そう思うわけであります。
 ささ、どうぞ、愛すべきモップさんの脇で、へそ天へそ天。

◇藏ゆさん
 盛大な拍手をありがとうございます。
 あのヒトゴト感ただよう言い方は何なの?と血圧が上がります。
 薪ストーブと猫がなければ、健康な心は保ちにくいかも?!

◇くろうささん
 ご心配、ありがとうございます。
 ええ、ご心配のとおり、たまに落ちますアハハ。
 さびぃちゃんと、おこたでへそ天、いいですねえ。

◇すーさん
 お嬢ちゃんの日本語はずるくもないし、間違ってもいません。
 出来したビックリな事態に、「あっ!」と驚いたわけで、
 それを行為ではなく、眼前の事態として語るのは、ごく自然です。
 さらに日本語は、出来した事態を語る自動詞が発達していますし。
 だけれど意図的にしたことにそれを使うのは、ケシカランですよね。

◇おっチョコさん
 間違っている、というか......
 むしろすごく上手に使いこなしてる、というべきかもしれません。
 そして、そこが、ハラ立つ!

◇ぽぽろさん
 そうですか、無敵ですか。ですね。無敵です。
 どんなにささくれだった気分も、猫らを見ると、和らぎます。
 怒るべきときに怒りを忘れるのはまずいでしょうけれど、
 ほんと、彼らに救われる場面が、人生にはたくさんありますね。
 ありがたやありがたや。

  • ニャンタのおば
  • 2016/02/11 14:57

たびたびごめんなさいまし。
よい説明ではないなんて、
め、め、め、滅相もございませんです!
ご説明が無駄のない言葉遣いで、みごとに的確かつ簡潔なので、
「知らない事」もよどみなく読めてしまって、理解が追いつかないんです。
大根を余熱調理するがごと、しみこむのを待つ2日間でございました。
まことにしてはならないことをしてしまった、かも?

娘の言い方が、自己保身ではなく
単なる事態の報告であるということに納得です。
そこまで、知恵が回るとは思えませんものねえ。
でも、ずっと不思議に思っていた事でした。

ついでに、一人称についての話
娘が小さいとき、どうやって「私」から始まる言葉を教えればよいか考えた時期がありました。
家庭で教えるのは、難しいと思いました。
子どもが一人称を使いこなせるのは、随分大きくなってから(小学校に上がるくらい)だったように思います。
まわりの環境(幼稚園、小学校)から自然に覚えました。
家庭での会話は、娘は自分の事を「Aちゃんは」で、私自身は自分の事を「お母さんは」で始めて、
「私は」で始まる言葉を使う事がほとんどありませんでしたから。

  • すーさん
  • 2016/02/12 10:06


◆さらにさらにコメントをありがとうございます。
◇こてちさん
 あわわわ、こちらこそ、余計なお気遣いをさせてしまいました。
 「わかったけどわかったような顔をするのは危険」というご趣旨、
 ちゃんと伝わっておりました。ありがとうございます。

 厚顔不遜に例えるなら、私が福岡伸一さんの文章に感じることかも。
 すいすいわかって、ものすごくおもしろい!のだけれど、
 いざそれを「ねえねえ」と人に伝えようとした途端、
 あ、あれれ?......ちっとも脳に沁みてないことに気づくんです。
 こてちさんと私ではもうちょっと畑が近いですから、
 そこまでのことはないでしょうけれど、そんな感じかなあ。

 ちなみに、日本語の「う/よう、ましょう」の多義と、
 英語の must や can の多義には通底するものがあります。
 可能が推量になったりする展開には、普遍性があるのでしょうね。


◇すーさん
 「ハンカチ落ちましたよ」(自動詞)という事態表現がある一方、
 「戦争で教え子を殺してしまった」(他動詞)なんていう
 行為表現がある。言語のしくみって、おもしろいと思います。

 日本語の親族呼称のルールは、これまたおもしろいんですよ。
 「人称に関係なく、その家で一番幼いものから見た呼称を採用する」。
 だから、誰かの母であり誰かの妻であり誰かの娘であるすーさんも、
 家の中では、常に誰からも「おかあさん」と呼ばれるのです。
 そしてお嬢ちゃん本人は、つねに「○○ちゃん」なのです。
 「わたし」や「ぼく」は、「社会」に出るまで不要なわけですね。

  • ニャンタのおば
  • 2016/02/12 12:39