2012.06.29 Friday
ニャンタニャンタ
ニャンタが逝った、2008年のアジサイ。
ろくな手入れもしないのに、毎年毎年、もりもりと、
たくさんの花をつけるアジサイでした。
以前住んでいた借家の庭(ニャンタに出会った庭)にあったのを、
引越しのときに、分けてもらってきたアジサイです。
なんの変哲もないありふれたアジサイですが、
浅葱から青へ、色のうつりかわりがうつくしい株でした。
ニャンタがわたしの手を振り切るように逝ったのは、6月の29日。
一日、雨がふったりやんだりする日でした。
夕方でした。
茫然自失の夜と昼をすごしたのち、
もりもりと、あふれるほど、こわいほどに咲いていたこの花を、
たくさんたくさん切って、ニャンタのからだをおおいました。
大好きだった箱にニャンタを寝かせ、
ニャンタが見えなくなるまで、薄青いこの花でいっぱいにしました。
そして、
ニャンタの赤ん坊時代を知っているアジサイのそばに、埋めました。
これは、2005年夏の、元気だったころのニャンタ。
大好きな箱で、ぐっすりお昼寝中。
アジサイは、ニャンタがいなくなってからも、毎年きれいに咲いてくれました。
それがどうしたわけか、三年目の去年、がっくりと花つきが悪くなり、
今年の春は、ついに芽吹きませんでした。
枯れた棒杭の立っている姿がかなしくて、すべて切りました。
すぐに、ギボウシやホトトギスやミズヒキやフキやらが旺盛にしげって、
どこにアジサイがあったかもわからなくなりました。
* * *
ふた月ほど前、わたし、大失敗をしてしまいました。
よせばいいのに、写真の整理をしようとして、
ブログを始めてから使い出したPhotoshopに、古い写真をそっくり移動。
そして、ハードディスクを空けるために、古いフォルダを削除。
そうしたら、ニャンタの写真が消えてしまったんです。
あんなに大量にあった写真が、ごく一部をのぞいて、消えてしまいました。
Photoshopのことを、なにか根本から誤解していたようです。
サムネイルは表示するのに、開こうとすると、「見当たりません」という。
バックアップはしてあったはずなのに、それもうまく探せない。
ものすごいショックでした。
でも、そのショックからの立ち直りは、自分でもあきれるほど早かった。
――アジサイも枯れちゃったしな。
ニャンタはもういないよ、もう土に返ったよ、って、そういうことかな。
ニャンタが好きだった箱は、飛騨りんごが入っていた箱に、
壁紙に使った残りの山中和紙を張り重ね、柿渋を塗ったもの。
やけに気に入ってくれて、
こんなふうに額を押しつけて「すまん寝」(くるねこ大和さん)をしていたり、
トロトロと外まであふれ出て寝ていたり、しました。
体調をくずしてからも、この箱に入っていれば落ち着くようでした。
今でもときおり、発作のように会いたくなったり、
バカみたいに泣いちゃったりすることはあるけど、
写真については、あんまり無理して発掘しないことにしました。
――ニャンタの好きだった箱はもう土の下だけど、
別荘として使っていたいくつものカゴは、ウリが引き継いで使っている。
だから、いいや。
――ニャンタが好きだった庭には、グリコがいる。
だから、いいや。
グリコは、ときどきニャンタのお墓のそばで、うっとりと昼寝をしています。
ニャンタは他猫に厳しい猫で、家の中はもちろん、
庭にも他猫の侵入をゆるしたことはありませんでしたが、
今は、もう、いいのでしょう。
もう4年も過ぎたんだねえ。
一生立ち直れないかと思ったけど、だいじょうぶだったよ。
ウリとグリコを寄こしてくれてありがとう。
てな文章をダラダラと垂れ流すことに、
いかほどの意味があるのかと、思わないではありません。
でも、今、大好きだった猫や犬やを亡くしたばかりで、
ぐじゅぐじゅのぼろぼろになっている人がいたら、言いたいのです。
――ゆっくりゆっくりだけど、
そのうち、こんなふうに、
だいたいだいじょうぶに、なりますよ。ダイタイですけどね。
だから、今は好きなだけ泣いてください。
そして、世間のみなさん、
電車の中でiPodをいじりながら突然涙を流し始めるブキミな人がいても、
駅からの坂道、盛大に泣きながら自転車をこいでいるアブナイ人を見かけても、
そっと、見て見ぬフリをしてあげてくださいね。